劇場版「荒野に希望の灯をともす」を鑑賞してきた。
上映している映画館は多くなく、東中野駅近くにある「ポレポレ東中野」という映画館まで足を運んだ。東中野駅には初めて訪れたが、駅に降りてみると意外とこじんまりとしていて驚いた。駅周囲は、昔ながらの居酒屋や商店街があり、新宿に近い割にはのどかな場所だなと感じた。
ドバトが目の前を悠然と横切って行った。ドバトが我が物顔で歩いている町はよいところである。
「荒野に希望の灯をともす」は、中村哲医師の生涯について語られたドキュメンタリー。公式ホームページからあらすじを引用する。
アフガニスタンとパキスタンで35年に渡り、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲。
引用:http://kouya.ndn-news.co.jp/
戦火の中で病を治し、井戸を掘り、用水路を建設した。
なぜ医者が井戸を掘り、用水路を建設したのか?そして中村は何を考え、何を目指したのか?
私はペシャワール会の会員であり、中村哲医師がどのような事業をされていたのかについては概ね知っていた。だが、実際に動いている医師を映像で見てみると、遠い人ではなく、かつて存在していた人だという実感が沸きでてくる。映像が持つ力、そして医師の姿を動画として残してくださった撮影隊の皆様に感謝いたします。
人物を言葉でカテゴライズすることは憚れるが、医師は実を重んじる現場主義の人であったように感じる。医師は「やわらかい物腰、静かな声」で話す。穏やかな語り口の裏には、深い、確固とした信念が隠れているように見受けられる。えてして、理想を語る人は現実との乖離から人が離れていくものである。
しかしながら、医師は人の心を信じる理想主義者であったと同時に、自ら重機を操る現場人間でもあった。現場の最前線で土砂にまみれる姿は現地人の支持を集めた。現実の課題を語る医師の目は、遠くを見据えていた。医師の中には、理想と現実が確かに同居していた。
映像の中で、医師は様々な苦境に立たされる。空爆、河川の氾濫、息子の死。苦境に立たされながらも、なるようにしかならない、という諦めを持っていたであろう。諦めを持ちつつも、人の真心は一貫して信じ続ける。この前向きな諦念が、医師を現場の最前線に送っていたように感じる。そして、その姿勢こそが私が医師を畏敬してやまない点である。
医師が好んで使っていた言葉は「一隅を照らす」。自分にとっての一隅はどこなのか、まだ見つけられていない。