2022年も終わり、2023年が始まる。
急に寒くなってきたからだろう、道行く人はポケットに手を突っ込み、前かがみで足早に歩いていく。

寒くなると、どうしてもネガティブな気持ちになってしまうのは私だけだろうか。
年の瀬は年度の区切りということもあり、過去、そして将来について考えてしまう。

学生の頃を思い出す。中学生、或いは高校生の頃。
将来、というものが余りにも漠然としていたあの頃。判断材料があまりにも少なく、小銭を握りしめて、こじんまりとした駄菓子屋で限られたお菓子をどうにか選ぶような感覚。これからについて、テレビの情報から、また周囲の大人たちを見て想像を膨らませるしかなかった。

自分はこれから何処で何をしているのだろうか。元来不安症な性質であるためか、可能性でも構わない、何か取っ掛かりを得ることで安心したかった。

将来、というものに手応えがなさすぎて不安だった。何が不安なのだろう、それさえよくわからなかった。ただ大学に行けばよいのだろうか。試験に合格するためには、取り敢えず受験勉強をすればよいのか。日々増えていく課題に取り組み、分からない数式を、英文法を、納得がいくまで必死に考えた。判断材料がない以上、それらをぼんやりとこなすしかなかった。

「この船で魚を捕ってきてください。燃料を充填したからもう大丈夫ですね、コンパスはここですよ」と急に放り出されてしまうような不安感。ただ恐ろしく感じていた。

思うに、大人の責務としては、周囲の子供に対して選択肢を提示することがあると思う。ささやかなものでいい、多少誤っていてもいい、多種多様な知識、考え方に触れさせること。経験の機会を与えること。無理強いせず、ある程度の余白を大事にすること。
そして、さらに重要なことは、子供の自発性を涵養させること。決して委縮することがないように存在を尊重すること。そのためにも、認めること、任せること、そして待つこと。

当たり前なことをつらつらと書いている気がするが、当時の私の周囲に不足していた部分であったのではないか、と現在は考えてしまう。