先週末、研究室のときの知り合い数人と飲みに出かけた。
福岡の大学を出て上京して以来、約4年ぶりの再会。毎週のように飲みに行っていた、というよりも(お金がなく)学内で酒盛りをしていた人たちとの再会。
学生時代、研究がひと段落した人から野外に集まり鍋を始めた。鍋を囲んでいる横を野犬の親子が駆け抜けていった。無法地帯のようなキャンパスだったが、今思うと居心地は悪くなかった。取り壊されてしまったけれども。
カセットコンロと、どこから持ってきたのか謎な海外酒が研究室に常備されていた。90度越えのウォッカが埋もれていた。具材やガスがなくなると原付を飛ばした。
再会に懐かしいという感情はあまりなかった。学生時代の1ページが舞い戻ってきたような、私にとってはあるべく日常の姿であり、自然な形ですとんと落ちてきた。飲み会の間はずっとそのような感情でお酒を口に運んでいた。
新宿にいるのに、中洲にいるみたいですね、と言ったら微笑んでいた。
懐かしい、とは何なのだろう。現在と過去の日常の密度差によって変わりうるものなのだろうか。私の現在の生活が、もっと密度の濃いものであったならば?
かつての記憶が相対的に薄まることにより、懐かしさ、というものは形成されるものなのだろうか。
私の現状は、決して空虚な日常ではない、と思う。だが、日々忙しく過ごしてはいるが、社会人としての日常に新鮮さがあるのか、と問われれば否定ができない自分がいる。
考え始めるとなんだか寂しい気持ちになったけれども、寂しさを梅酒で流し込んだ。ただただ薄い梅酒だった。